ごあいさつ

『踊りが好きなのに、うまくいかない人のための教室を開こう』そうして38年余り経ちました。
『共に学ぶものは踊りだけではダメなのだと人間として大切なものを学び成長していかなければ踊りもつまらないものになるのだ』と気づきました。

まず私が教室を開いたきっかけですが、私自身踊りが好きなのに、うまくいかない人だったからです。なぜそう思ったかと言いますと、踊り自体は好きなのですが、まず体が硬い、小中学校時代は前屈マイナス10で学校で成績1を獲得していました。(笑)
大学に入りダンス部に入部し、そこで初めて、ジャズやバレエ、創作ダンスと出会いました。同級生と同じレッスンを受けても、一人ついていけず、内股でバレエの外股にするなんて到底無理、肩が上がるので首がないポーズになってしまいます。
友人や先輩から指導を受けましたが最後は「あなたの体はダンスに向いてないね、かわいそうだけどと」言われる始末です。でも、それは承知の上ですので、落ち込まずに頑張ってやり続けました。そしてお決まりコースの故障。医者にいくと、レントゲンを見せられて君の背骨はダンスに向いていない、と言い渡されました。(これは少しガーンときました)
『別にプロのダンサーになろうなんて思っていませんよ。でも好きなの、上手くなりたいの、こんなに努力して先生の言っているとおりにしてるのにどうして上手くならないの?外野うるさい!好きでやってるのよ。才能なくて悪かったわね、よけいなお世話ほっといて!』
それから上手い人と上手くいかない人(私)の研究を始めることにしました。体育大学で運動生理学を学び、運動力学整体学ストレッチ、ヨガ、バレエ、ジャズ、コンテンポラリー、ヒップホップ、とにかく全て体験して自分の身体で試してみました。カイロや整体ももちろん学んでいます。
そうしているうちに身体が痛まない基本ができているスクールとして、お墨付きをいただけるようになりました。

最近では年をとっても、病気をしても、若々しく過ごせる身体づくりのお手伝いをしたいと健康教室のクラスも開講しており、各団体から特別講座としてお招きいただいております。
子供達を教える機会もいただきました。子供達はいずれ独り立ちします。その時に必要なものを全て持たせてやりたいという想いで指導に当たっています。『感謝する気持ち』 『努力する力』『向上心』 等 これはきりがありません。
私が受け持った子供達は皆、心優しい人間味あふれた人材に育ち、社会に旅立っています。
これは卒業生の言葉です。「踊劇舎で育つと社会へ出た時とても楽でした。』「ただ、伊藤先生の厳しさになれるのには一苦労しますが、先生を信じてついていったおかげです。』そう言っていただききありがとうございます。嬉しいですよ。でも私も歳を重ねだいぶ丸くなりました。ご安心ください。
スタジオ踊劇舍の講師は私の育てた人材が志を共に皆様の指導に当たっています。(私より踊りも指導も丁寧です。親バカかもしれませんが優秀です。笑)

現在3歳から70歳までの生徒さんや講師メンバーと、『健康のために踊る』『みんなで踊る』『いい仲間と踊る』をモットーに、プロではないがプロに対抗すべく良い作品を作るべく、踊りと演劇を合わせた作品を作り続けて来ました。それが公演活動となり私たちのオリジナルになりました。
心も体も健康でい続けることができるように、『人間として成長しながら踊ること』を続けていきたいと思っております。

スタジオ踊劇舎 代表 伊藤 佳子

講師紹介

伊藤 佳子 Yoshiko Ito

スタジオ踊劇舎 代表

ニューヨーク留学。大阪体育大学卒業。ジャネットジャクソンの振付師などの指導を受け、自ら構成・振付・脚本を書き、公演活動を行う。優秀な講師陣は、24時間TV・NHK花博・御堂筋パレードに出演。基本のしっかりした生徒を育て、各大学・宝塚・ミュージカル界に送りだしている。

埜田 祐理子 Yuriko Noda

大手前女子大学卒業後、Yダンスグループ(現スタジオ踊劇舎)入団、伊藤佳子に師事。江崎グリコにて健康教室のアシスタントを経て各企業のイベントに参加。御堂筋パレード・骨髄バンクキャンペーン等出演。劇団大阪のワークショップや奈良バサラ祭りの振付け構成の指導。踊劇舎の全ての公演に出演する傍ら年令に合わせた柔軟な指導力で人気を呼んでいる。

伊藤 恵子 Keiko Ito

1980年、奈良県立郡山高等学校卒業。経理事務に従事していたが踊劇舍公演に感銘を受けOLをしながらバレエ、ジャズ、モダンを学び、講師資格を取得し指導を始める。怪我で再起不能と宣告されたがダンスに対する熱意は変わらず、自分の身体で試しながら研究指導にあたる。日常生活に感謝し一人でも多くの方に踊りを楽しんで頂ける事を目標に講師を続けている。

長尾奈美 Nami Nagao

幼少よりジャズダンス・クラシックバレエを習い始めスタジオ踊劇舎にて伊藤佳子に師事。2004年 大阪芸術大学 舞踊コース卒業 同大学院、芸術制作研究科修了。今岡頌子・加藤きよ子に師事。現在、大阪芸術大学 非常勤講師を務め、大学以外では若手ダンサー達の舞踊指導をし自らもモダンダンス・コンテンポラリーダンスと独自の表現を考究し、ダンサー・振付家として国内外と様々な舞台・コンクールに参加している。

濱本 真澄 Masumi Hamamoto

1997年よりスタジオ踊劇舎に所属、代表伊藤佳子に師事。9歳からジャズダンスを始める。ドラキュラ、アルファ、信長、三国志、阿修羅、新撰組の公演に出演。2007年奈良県立高田高等学校卒業、2011年同志社女子大学現代社会学部現代こども学科卒業。小学校教諭一種免許状取得。なんでもこなし明るく楽しくをモットーに指導、クラス運営を行っている。

【今年のお話】

今年は『人は何の為に生まれてきたの』という質問の答の一つとしてお話をさせて頂きました。

小さい頃私は母にその質問をしました。母は当然、今更なに言っているの。そんなのこれに決まっているじゃないのというような感じで、当たり前のようにはっきり言いました。『人間は人のお役に立つ為に生まれてくるんじゃないの。』
あまりに簡単に、あっけらかんと言われてしまいましたので、私も『あ、そうか』と簡単に納得してしまいました。自然にすーと頭に入ってきた感じです。そしてこう言いました。

『だからあなたでも何が出来るか探しなさい。でも私の子供だから、人より何が出来るという才能もないだろうから、とにかく学校にいって手に職をつけるために、努力しなさい。無理な努力は私の子供だからできないだろうから、自分で出来る範囲の努力を最大限しなさい。とにかく何が起こっても一人で行きて行ける職業を持ちなさい。それが、大きな自信になるからね。それと好きな趣味をもちなさい。趣味は人生を楽しくしてくれる大切な宝物のようなもの。私は戦時中だったので、学校に行かせてもらえなかったので、手に職を持つことができなかった。好きな音楽の授業だけは受けたかった。そうすれば、今行っているママさんコーラスの楽譜を読むのがもう少し楽なんだろうと今になって思います。あなた達はそれができるのだから、幸せだね。』という話を何度も何度も聞かされ育ちました。

実際、私は3人姉妹なのですが、5歳から娘3人とも有無をいわさずピアノ教室にいかされました。父親にピアノを習わす許しを得る為に、母がやけに強く子供の英才教育について父に説得しているのを覚えています。でもこれは母が歌を歌うときに、娘に伴奏してもらうのが夢だったようで、彼女の可愛らしい夢のために私達はあの時代で珍しくピアノを習わせてもらっていたのです。
それとは知らず、父は母の説得に完敗したようです。私達は母に言われるまま、音楽が好きかどうかも解らないままピアノを習っていました。親に与えられたものを辞めたいとかそういう選択権は、子供の時期はなかったような気がします。でも無理矢理というものもなかったと思います。母がうまく誘導していたのでしょう。

母は本も好きで、寝るときに読んでくれました。ただ、幼稚園においてある絵本のたぐいではなく、シートン動物記等の、のらねこキティー、ヒグマノワープといった漢字の多い長編ものでした。お話が長いので、途中で終わって、また今度という具合です。(実際は、彼女が疲れたら本日の分はおしまいです。)待ちきれなくて、文字を覚えて自分で読むようになりました。

お陰でみんな、音楽や芸術、本が大好きです。それが今の表現活動の基礎にはなっているのですが、少し笑っちゃいますよね。

今年の発表会も彼女は全部観てくれました。そして、『生徒さんは全てあなたの子供だから、あなたの責任、大切にしなさい。』といって帰りました。

彼女の娘である事に、心より感謝しています。